『テラヤマキャバレー』ついに開幕!ゲネプロレポートを速報でお届け♪
こんにちは!梅田芸術劇場公式note編集部です。
ついに2/9(金)に開幕した『テラヤマキャバレー』。
開幕前日には、舞台挨拶とゲネプロ(本番通りに行う全体稽古)が行われ、ここで衣裳・ヘアメイクがお披露目されました。
今回は、演劇ライターの三浦真紀さんからのゲネプロのレポートを、舞台写真と共にお届けいたします!
『テラヤマキャバレー』の世界を感じていただけたら嬉しいです。
本作のあらすじ・見どころ・グッズ等をご紹介した過去記事も併せてご覧ください👇
『テラヤマキャバレー』ゲネプロレポート
「ぼくは世界の涯(は)てが自分自身の夢のなかにしかないことを知っていたのだ」。終演後、劇場を出ると寺山修司の有名な詩が頭の中を巡った。
猥雑で妖艶、ポップでエネルギッシュ、有象無象が繰り広げる強烈な劇風景。あれが涯てだったのかもしれないと、余韻を噛み締めた。
冒頭、時計の音がして、真紅のドレープが美しいカーテンの間から、黒いトレンチコート姿の寺山修司(香取慎吾)が現れる。この瞬間に息を呑んだ。特にメイクや髪型で寄せているわけではなさそうなのに、映像や写真で見る寺山に似ているのだ。
カーテンが開くと、正面に縦横に仕切られたまるで地獄の門のような立体的なブースがあり、それぞれ中ではバンドメンバーが演奏している。そこはキャバレー!中央の門が開くと(この仕掛けは一見の価値あり)、黒いマントの集団がうねるように入ってきた。彼らは奇妙な劇団員たち。この世界は、死が間近に迫った寺山の脳内風景、想像力の産物らしい。
寺山が一人ずつにへんてこな名前をつけて劇のリハーサルを始めるが、そこに死が寺山を迎えに来る。劇団員たちが寺山から死を引き剥がしにかかると、死は日が昇るまでの猶予、そして過去と未来に飛べる3本のマッチを与えた。その条件として、死は寺山の人生を芝居で描き、感動させることを要求する…。
物語は寺山の詞で綴られた曲と共に、さまざまなエピソードと彼自身の言葉を散りばめながら展開する(事実と嘘が混ぜこぜになっているのは、嘘つきだと言われた寺山のせい、すなわち脚本の池田亮の狙いでもあるようだ)。
楽曲は寺山の告別式でも歌われた「Come Down Moses」、国民的アニメのOPテーマの「あしたのジョー」、そして2/16に配信リリースの「質問」など、15曲にも及ぶ。
劇中劇には寺山の両親の寺山八郎とハツ、元妻で、女優、演劇・映画プロデューサーでもある九条映子や、秘書であり寺山の詞の数々を作曲した田中未知など寺山の周りの人々、近松門左衛門や三島由紀夫、そして現存の演劇人たちまで登場。
寺山は過去に飛んで近松と出会い、未来では言葉を失った歌舞伎町の若者たちに幻滅する。近松や三島については、演出のデヴィッド・ルヴォーの想い* も含まれていることだろう。
一幕ラストでは壮絶な乱闘の末、寺山は肉体こそが生だと気づく。理屈を超えた先にあるものを探す旅。この多重構造は観る者をめくるめくマジカルな境地へと引き摺り込み、陶酔へと誘う。
香取慎吾は寺山を、大胆に、魂を込めて演じ切った。本人も「寺山修司であり、時には香取慎吾であるような」と言っていたがその塩梅が絶妙。
また劇団員たちがイキイキとして自由、演劇とは遊べるものだと改めて教えてくれる。そして凪七瑠海の死が、異世界でガツンと効いている。
ラストは前向きで、爽快感すら漂う。作品全体がスキャンダラスで躍動的な寺山讃歌。例え寺山を知らなくても十分に楽しめて、今まで味わったことのない演劇体験に出会えるはずだ。よくわかった。
この先も私たちは寺山が残した言葉、作品に勇気づけられながら人生を進むのだ。
(演劇ライター 三浦真紀 / 撮影 岡千里)
『テラヤマキャバレー』のゲネプロレポート、いかがでしたか?
現在東京・日生劇場にて絶賛上演中です。ぜひ劇場でご覧ください!
チケット購入はこちらから👇
当日券は抽選方式にて販売いたします。 詳細は以下〈東京公演に関するお願い〉をご確認ください。
※大阪公演は追って公開される〈大阪公演に関するお願い〉をご確認ください。
公演公式X(旧Twitter)では、現場から随時お届け中!是非チェックしてくださいね♪